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registration 日本におけるモダン・ムーブメントの建築

  • 168 岩波熱海別邸(惜櫟荘)

    • 吉田五十八 (改修 板垣元彬建築事務所)
    • 神田岩崎工務店 (改修 水澤工務店)
    • 吉田五十八による新興数寄屋の手法が確立されるのは 1935 年頃とされている。国立の吟風荘、熱海の杵屋六左衛門別邸、新宿の吉屋信子邸などがその頃の代表的な作品であるが、これに続く作品群として山口蓬春邸、加藤邸、惜櫟荘(岩波別邸)などを位置づけることができる。戦前期の作品の多くが既に失われている中、惜櫟荘は戦前期に確立された吉田流数寄屋の技術的、空間的な成果を現在に伝える貴重な住宅遺産である。 こうした文化財的価値を有する住宅建築を後世に伝えてゆく上で野最大の課題は、保存修理工事の進め方にある。石や煉瓦の構造体と異なり、木造は長い年月での腐食や劣化を免れることはできない。今回の修理工事では、全面解体による修理および復元が行われたが、竣工時の建築の持つ文化財的価値を損ねるものであってはならないとの考えから、吉田五十八の直弟子である板垣元彬が責任者として監修を行い、数寄屋建築の優れた施工で知られる水沢工務店によって修理復元が行われた。修理にあたっては、現存する吉田直筆の原図(スケッチ)をもとに、詳細な調査に基づく実測図面が作成され、その調査結果に基づいて修理復元の計画、実施されている。解体調査の中で新たに発見された技術や手法も報告されている。 しかも特筆すべきは、本来、公的な機関によってなされるべき丁寧な保存事業が、所有者個人の力によって行われたことである。また新しい所有者である小説家の佐伯泰英氏によって、修理工事に至るまでの背景や経過、その成果などが『惜櫟荘だより』(岩波書店、2011 年)として公刊され、建築を愛する一人の文化人のまとめた貴重な記録となっている。こうした一連の試みは、今後の木造によるモダニズム建築の記録と保存のための優れた先例となるものである。
    • 1941年 (改修 2011年)
    • 静岡